片足ダチョウのエルフのイメージで描きました
小学校の3年の時、国語の教科書に載っていた「片足ダチョウのエルフ」の物語を、時々思い出します。とても強いダチョウのエルフはいつも弱い草食動物達を強い脚と心で恐ろしい肉食獣達からいつも守ってあげる、あたたかく大きな存在。でも、ある日、獣に襲われていた仲間の動物を助ける為に戦い、その獣に片足をもがれたしまいました。もう、誰も助ける事は出来ない・・・と片足で立ち尽くすエルフ。やがてその体は大きな木となり、流された涙は大きな泉となりました。
そのような、お話しだったと思います。
印象に残っているのは、その国語の授業で先生が「なぜ、エルフは片足をもがれて木になったの?」という質問をされたからです。小学校3年生の私たち、「かわいそうだから。」「かなしかったから。」「いたかったから。」そんな答えしか出なくて、穏やかだった先生は「可哀そうなら木になるの?悲しかったら、なぜ木になるの?痛いと木になるの?もっとよく考えてみなさい。」と再度質問を返され、小学生にして、初めて緊張感の漂う張りつめた空気を授業で感じました。次の体育の授業も「答えがわかるまで、国語の授業にします。」と先生は変更。皆、張りつめた緊張漂う教室で押し黙って一生懸命に考えていました。
私も、なんで木になるの?と不思議で、不思議で・・・・
結局、先生が「そうよ。」と言って下さる答えは誰も発することが出来ず、その授業は先生の「なぜ、エルフは木になったのか、みんなそれぞれ分かるまで考えなさいね。」という言葉で、緊張の2時間は終わりました。
「水のない、砂漠の地。強い脚をもがれてしまって、戦って守ることは出来なくなったエルフが、自分よりも弱い生き物を守り続けるために、出来る事。それが、木になることだったんだ。」と、ふと気づいたのはそれからもう、数年後。先生!わかりました!と走っていきたかったけれど、当時の担任の先生は、他校に転勤された後でした。
太陽の輝く暑い砂漠の地で強い陽射しから動物達を守り、枯れないお水をたたえ続ける泉をもつ大きな木。
エルフが、足を失くした後も、生き物たちを守ることが出来ると考えた、唯一の方法だったのですよね。
どこまでも、優しく強いエルフ。